海雲山 晧臺寺 さま

お客さま訪問記

海雲山 晧臺寺 さま

長崎港を見下ろすようにそびえる風頭山。その麓に2社14寺が集まる寺町があります。その中で最も古い歴史をもつ、九州屈指の曹洞宗寺院―海雲山 晧臺寺さまを訪問しました。

海雲山晧臺寺(こうたいじ) さま 長崎県長崎市寺町1-1
https://kotaiji.net/

24時間切れ目のない修行

晧臺寺の開山(かいさん)は慶長13年(1608)。「徳川幕府が開かれた際に、キリシタンの町と化していた長崎に仏法を復興すべく奮闘した亀翁良鶴和尚によって創建されました」と語るのは、37世住職の斎藤芳寛さんです。「その後、3世・月舟宗林和尚の時に釈迦・文殊・普賢の三尊像を本尊とする本堂を新築し、僧堂を建てたことで禅寺としての体裁を整えました」
「僧堂は僧侶たちが坐禅を行う道場であると同時に、食事や就寝をする暮らしの場。曹洞宗は坐禅の教えを依りどころにしています。その教えとは坐禅によって得る身と心のやすらぎがそのまま「仏の姿」であると自覚することにあります。曹洞宗の僧侶を養成する認可僧堂は九州では3カ所のみ。そのひとつである晧臺寺には、全国各地から、また海外からも修行僧が集まり、現在20名が日夜修行に励んでいます。「隔壁のない僧堂の大部屋生活で、朝は4時半起床、夜9時に就寝。24時間切れ目のない修行を続けています」と斎藤さん。食事も睡眠も修行の一部なのです。

天保8年(1837)に建てられた晧臺寺総門は県の有形文化財に指定されている。

墓地は幕末長崎の歴史絵図

晧臺寺には外国人僧侶も在籍しています。米国の大学を卒業後、平成8年に出家した霊峰さんは平成22年に来日。斎藤さんの教えに感銘を受け同寺で修行に励み、現在は住職の侍者(秘書)を務めています。欧米からの修行僧や観光客が訪れた際には通訳も担当。なんと日英仏独の4カ国語を操ることができるそうです。
県や市の文化財に指定されている伽藍(がらん)以外にも、晧臺寺にはぜひ訪れたい場所があります。それは寺の裏手から風頭山に続く広大な墓地。シーボルトの娘で日本初の女性産科医・楠本イネ、写真の開祖・上野彦馬、坂本龍馬の片腕といわれた志士・近藤昶次郎(ちょうじろう)をはじめ、長崎奉行や蘭学者、唐通事(中国語の通訳)など、長崎で活躍した著名人や要職にあった人たちが多く眠っています。つまり、晧臺寺の墓地は幕末長崎の歴史絵図なのです。
また遠藤周作の歴史小説『沈黙』の中に登場する、棄教した司祭のフェレイラ。彼は実在した人物で、その葬儀を晧臺寺で執り行ったという逸話もあります。

開創400年記念の伽藍再建事業

晧臺寺は地域にも開かれた寺院です。約2,000世帯の檀信徒さんとの交流はもちろん、毎週土曜日の午後7時〜8時には参加無料の坐禅会を実施。観光客も受け入れており、多くの人が伽藍や墓地を見学しに訪れます。ただ今年は開創400年記念事業として本堂・僧堂・鐘楼の再建工事を予定しており、内部の見学はできません。「皆さまにご迷惑をおかけしますが、来年新しく生まれ変わる伽藍にぜひご期待ください」と斎藤さん。「国際都市・長崎の特色を活かして、外国からの一般参禅者も気軽に参加できるようにアピールしていきたいですね」
最後に、寺院の電気設備の保安管理についてご意見を伺いました。「いつも保安協会に見ていただいているので安心しています。以前、電力を低圧から高圧に切り替える際、保安協会から様々なアドバイスをしてもらい大変助かりました」

坐禅によって得る身と心のやすらぎ

本堂の奥には釈迦・文殊・普賢の三尊像が本尊として祀られている。
「国際都市・長崎の特色を活かし、外国の方々にも禅を体験していただきたい」と語る37世住職・斎藤芳寛さん。
大仏殿(華厳閣)には高さ3.4mの毘盧舎那仏坐像を安置。
(左)僧堂で坐禅を勤める僧侶の霊峰さん。曹洞宗では壁に向かって座るのが正式な作法(面壁(めんぺき))。 (右)墓地を散策しながら風頭公園まで上がって行くと、長崎港が一望できる。

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